yamacb’s blog

病気がちな体質ですが、色々な事をブログに載せていきたく思います。

仮想現実

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バーチャルリアルティ

 

 

5個の知覚

私達が存在しているこの世界の自分の外側、外界を知覚しているのは、五種類の感覚器に頼っています。それらは「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」の五感です。

仏教における知覚は、色、声、香、味、触、法(知覚)の六境とされています。

仏教で六境の要素である主観側の認識する器官の事は六根と言い、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身(しん)、意(い)です。

これらの身体にある感覚器によって、私達は外界と繋がっており、入ってきた情報を脳内で処理して現実世界として知覚しています。

さて、最近はVRや3Dによって、現実世界に似通った感覚をコンピュータによって体験することが出来きるようになってきました。

バーチャルですがより現実に近い体験が出来るようになりましたね。

例えば、VRの崖から下を覗き込むと、本当に高い所に居るのと同様な錯覚に陥り恐怖の感覚を知覚する事が可能です。

そんなバーチャルリアルティで作られた仮想現実を実経験すると、技術の進歩に伴いバーチャルがリアルティに近くなっていくのを感じ、ふと疑問を覚えます。

実際に私達が認知しているこの世界も実は仮想現実ではないか。現実世界のようですが、脳内等で構築した世界を忠実に再現し我々は認識しているだけ、要するに実際の現実世界は知覚しているのとは実際には異なっているとか、もしくは物質としては存在しないが五感からの情報で作り上げている情報だけの世界。そのようなリアルティではないバーチャルリアルティの仮想現実なのではないかと思ってきてしまいます。

これはあながち全くの空想という訳でもなくて、実はいくつか状況証拠的なものがあるようで、それはまるで私達の存在している現実世界はコンピュータ内のプログラムの1つでシュミレーション世界かのようです。

これから幾つか仮想現実的な状況証拠みたいに思える事象を挙げたいと思います。

一つ目の証拠はエネルギーや時間の最小単位です。

宇宙はビックバンで誕生し、やがて過去から未来に向かって進む時間の矢が発生しました。ビックバンこそがまるで、宇宙というコンピュータのOSの電源を入れた様ですが、この時間も世の中が現実世界なら無限数の連続的な筈ですが、時間には実は最小単位のブランク時間があるのです。

5.39×10^-44Sが最小単位で、これによって、世界はコマ送りなのです。

これは驚きですね。

つまり連続した時間の場合には無限大の情報量で過去から未来へと隔たりなく連続的に時間が流れていく現実世界を表しています。一方でコマ送りの場合には情報量が有限でありコンピュータプログラムのような仮想現実的と言えます。

勿論エネルギーの方も同じくブランクエネルギー1.9561×10^9Jで光電効果(物質にある単位で光を当てた時物質内の電子が光子のエネルギーを吸収して電子が物質外に放出される現象)に見られるような最小単位があり、世の中の全ては無限大ではなく、最小単位があり、情報量は有限であるといえます。

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2つ目の証拠はミクロの世界での物質の性質です。

電子の位置と運動量を同時に確定する事が出来ない2つの物理量であるハイゼンベルク不確定性原理です。

光子の二重スリットの干渉縞の実験の例のように観測しない場合には波(波動)のように振る舞い、2つのスリットを通った光子は互いに干渉しスクリーンに干渉縞をつくりますが、スクリーンに到達する前に光子を観測してしまうと波であった光子が収縮し、1つの光粒子となってしまうため、片方どちらかのスリットわ通りスクリーンに当たるので、干渉縞は形成されません。観測されない、つまり見てない状態だと波であって、確率的にある空間の範囲内に存在するがあやふやな状態ですが、観測した途端に収縮して、1つの粒子として場所が確定します。

これをゲームならキャラクターが居る周囲の見える範囲の景色だけ構築され、見えない所は省略されています。これによりゲームの情報量が節約されます。

現実世界がバーチャルリアルティの仮想現実であって、観測者と相関関係に無い部分は省略され、宇宙空間の情報量は無限大ではなくまるでパソコンの中の世界のようです。

「私達が見ているから其処に月は存在しており、見てない時には月は其処に存在しない」は有名な表現です。

3つ目の証拠は遅延選択実験です。

過去と未来の結果が量子論では入れ替わる事があるそうです。二重スリット実験にてスリットを通り抜けた粒子をスクリーンに当たる直前に観測してしまうと波動状態から収縮し粒子の状態になりますが、過去に通ったスリットのどちらかが未来の収縮によって決定されてしまいます。波動状態でどちらかの2つのスリットを通ってスクリーンに当たる瞬間に観測してしまったために収縮が起こり、過去に通ったスリットのどちらかを通ったが観測の後で決定されるというものです。未来の決定因子が確定して初めて過去の状態も決定されてしまうという過去と未来が逆の状態が量子の世界では起こることがあるそうです。現実世界で時間の矢の方向が一定なら起こり得ないことだと思えます。

4つ目の証拠は時間的距離を度外視する量子もつれという現象です。

2対になった光子が互いに光の速度で遠ざかる時の片方を観測し一方の光子の状態を決定すると光の届く距離より離れてしまっているもう一方の光子の状態も瞬時に決定されてしまいます。物質は光速度より速い速度で情報が伝達されることはありませんが、この場合には一方の粒子の状態(粒子スピン向き)が観測によって決定されると、対になったもう一つの粒子もどんなに離れていても同時に決定され光速度を無視したようなまるでプログラム上で動作しているような光速度不変の原理を無視して情報は瞬時に伝わります。

5つ目の証拠は光速度の問題です。

物質における光速度は299792458m/sで一定であってこれを光速度不変の原理といいますが、光速度が一定だと困ったことが起きます。

光の速度に近づけば近づく程、時間の進みが遅くなる、もしくは物体の長さが縮みます。

理屈があわないためローレンツ変換で空間を合せて曲げてしまえという対処が発生します。

タイムマシンとか過去から未来へのあれですよね。浦島太郎伝説とかの。

これもコンピューターとか仮想現実の世界だと説明がつきます。

情報処理能力はしきい値があるので処理量の大きさ(光速度)が高速になるほど処理時間が停滞し処理時間が遅くなり光速度が処理の限界値と仮定するとすっきりしますよね。

処理速度が追いつかないフリーズ寸前のパソコンのようです。

5つ目は学習の面です。前から不思議だって感じていました。

子供が育っていくのを注意深く見ていると不思議なのは、白紙、ゼロの状態から教えて覚えていくのではなく成長には段階的で覚えるではなくて言葉の通り学習だと感じます。

経験という外界刺激によってスイッチが入り、元々あったのが覚醒し、突然段階的に出来るようになります。例えていうなら、頭の中にはもともと英語圏と日本語圏という言葉の元があって、幼い頃に英語圏で育つと英語も話せるようになりますが、大人になってからだとなかなか大変ですね。

このように生まれながら元はすでにプログラミングされていて、経験によって引き出せるかという素質みたいなのがそれぞれ人にはあって不得意が生じているということです。

石が一つ転がっています。三歳児が石を手に取って重さや触った感触、見た目を覚えます。また親からはこれが石なんだということを教わります。

また違う石が転がっていました。目で見て石だと解ったり、触って石さと判断がつくように自然になっていきます。もちろん見かけが石のように忠実に再現されたプラスティック製品は見破られます。

これをロボットにカメラで判別するようにするとなると、石一つ一つの表面の反射率、色、表面硬度、重さなどをインプットしていかないとダメでしょうね。

石側も人側も仮想世界であらかじめ決まりを作っておけば、膨大な情報量でも可能なように思えます。

6つ目は認識と流行についてです。

私は流行についても不思議に感じています。

服装の流行りなどはアパレルメーカーが宣伝等による影響と思われますが、若年層の新しい言葉使いや趣味嗜好などは宣伝や口コミだけではなくまるで脳がネットワークで繋がっているかのように流行ります。「ワンチャン~」とかの言葉はだれでも使っていますね。

これはまるでネット世界に浸透していくウイルスのようですw

流行が広がっている速度がメディアで取り上げられるより速い速度だと感じています。

人の脳内の認識についても不思議な現象があるようです。

人が何かを認識にて判断する分岐点はふつう人自らが自分自身の判断で考え、結果選択した結果と思われていましたが研究の結果は異なっていて、脳内の認識する分野で処理する前に勝手に先に選択され脳信号が発せられ、それを認識分野にて認識するので、自分で決定したように思うらしいです。

人の判断はどこからかの信号によってコントロールされているようです。

平行世界という選択肢での分岐点によっていくつもの世界が同時に形成されていくという理論もありますが、いづれにしても歴史上における分岐点はすべて必然でしょうか。

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5感によりこの世界を認識し感じられていますが、自分自身がこの身体にあるのでしょうか。意識というのが魂や霊魂や心のどれかでも構いませんが肉体とは別の存在が遠くのどこか(宇宙のどこか、または仮想世界上の宇宙の異なる場所)にあってそこから身体の脳が受信機として5感を介して感知していても全く不思議ではありません。情報の伝達速度がMAXで光速度なら時間的遅れが生じますが瞬時に遠くの自我に伝われば身体と自我との時間的空間距離はわからないと思われます。まるでコンピューターキャラクターのメモリーと操作系統の場所が別にプログラミングされているかのように。

 

このように考え方が正しいかはわかりませんがまるで現実社会は仮想世界のような状況がたびたびみうけられ不思議です。